吉田 晩稼 よしだ ばんこう
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筥(=箱)根の山色 依然として旧たり 今日経過す 廿(=二十)年を隔てる 裂帛の老鵑(=ホトトギス) 何処かに去る 関門鎖さず 水 烟の如し |
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141p×33p |
天保元年10月6日(新暦 1830年11月20日)生〜明治40年(1907)歿 |
名は晩稼、字は君敬、香竹と号した。市十郎の子として長崎に生れた。兵法を高島秋帆について学び、書を春老谷に学んだ。 のち諸国を遍歴して勤王の説を唱え、一時苦境に陥ったが、明治維新の際、山縣有朋の秘書に奉げられ、進んで陸軍大尉・海軍任御用掛に任ぜられた。 その後、まもなく官を辞し、書道を究めた。長川東洲に学び一家を成し、楷書に秀でた。東京で書法を教授し、詩酒の間に適意筆硯に親しんで余生を過ごした。老齢に達してもなお矍鑠たるもので、その健筆は衰えなかった。 明治34年、京橋の国光社が制作販売した教科書用活字書体を晩稼流という。揮毫した晩稼の名前を使ったと思われる。また、靖國神社の大石標、陸軍省など官庁の門標や大阪天王寺の本木昌造記念碑を揮毫した。 「晩稼居士」の下に、白文の「吉田晩稼」、朱文の「香竹」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.city.niigata.jp/info/akiha/about/culture/senjin/index.html#36 http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-791.html |